これぞ喜劇!?映画『ジョーカー』ネタバレ感想:ラストまで観客を嘲る男。

まいど、Leecaです。
本日は話題沸騰中の映画、『ジョーカー(2019)』の感想をネタバレありで綴っていきたいと思います。あらすじも冒頭でサクッとご紹介いたします。
ではでは、早速本題へと参りましょう。
映画『ジョーカー』
■ ざっくり、あらすじ ■
原題:『 Joker 』
ジャンル:サイコスリラー/クライムドラマ
脚本・監督:トッド・フィリップス
製作国:アメリカ
配給:ワーナー・ブラザース
公開:日米同時公開=2019年10月4日
上映時間:122分
受賞歴: 金獅子賞
80年代のゴッサムシティで、母親の介護をしながら貧しい生活を送る男、アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)。
頼るあてもない困窮した孤独な日々。
それでも彼は、母ペニー(フランセス・コンロイ)の「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい 」という言葉を胸に、コメディアンとして活躍する明るい未来を夢見ていた。
しかしそんな健気なアーサーに、困難は容赦なく降りかかり、ゆっくりと着実に彼の精神を蝕んでいく。
狂気の男、ジョーカーは如何にして生まれたのか。誕生の裏に隠された真実に迫る物語。
映画『ジョーカー』
■ ネタバレ感想 ■
※中盤からネタバレがありますのでご注意ください※
もともとアメコミファンではない私ですが、『ダークナイト』という作品、そしてその中で故ヒース・レジャーが演じたジョーカーには魅せられた一人です。
ですので、アメコミが苦手ながらも今回の『ジョーカー』の公開を密かに楽しみにしている自分がいました。
トレイラーも劇場で一度だけ見ただけで、あとは真っ新な状態で映画館へ。ワックワック。
122分間、ずーっとスクリーンにかじりついて前のめりで鑑賞。が、流れるエンドクレジットを目の前にどこか違和感を拭いきれない自分がいました。
劇場を後にし車内で主人と感想を語りあう間も、「映像も音楽も美しくてホアキンの演技も素晴らしかった。だけど、なんかしっくり来なくて・・・なんでだろう・・・」と、自分が抱いた感想にモヤモヤ。主人は絶賛。
帰宅後このモヤモヤを解消すべく、色々な人の感想・レビューを見るも、やはり大多数の人々は「スバラシイ社会派映画だ!」などと大絶賛。なんで手放しに絶賛できないんだ、私は。
私ってば世間からズレてるの?
とんだひねくれ野郎なんかな(涙)
この私の現状こそジョーカーじゃないの、とよく分からない心理状態に陥りつつ考えを巡らせること、丸一日。
おそらくモヤモヤの正体は、本作に何か別の意図を感じた気がしたけど、それを突き止められずにいたことによるものだと分かりました。本作をストレートに「悲劇」として見たい自分と、単純にそう捉えられない自分との葛藤・・・・あぁなんか気持ち悪い(涙)と。
そしてまた考察タイムへ突入-。
▶️全ては主観である
本作の脚本・監督を務めたのは、『ハングオーバー!』シリーズで知られるトッド・フィリップス。下品で際どい内容を忌み嫌う批評家も多いようですが、個人的には今でもたまに観返してはクスッとしてしまう好きな作品群です。
そのフィリップス監督が今回、コメディの枠を超え本作に挑んだのはどうしてか?どんなメッセージを私たちに伝えたかったのか?ここが考察をする上で、とても気になるところでした。
前述の通り、本作を単純に「悲劇」として捉えきれなかった私は、ここがキーになると思ったのです。それでフィリップス監督について焦点を当てたとき、彼にまつわるある出来事を思い出しました。
それは、彼がVANITY FAIRのインタビューで語った内容が誤解される形で一人歩きし、SNSで世間から批判を浴びることになった出来事です。インタビュー内容(意訳)は次の通り。
このウォークカルチャーの中で、笑いを取ろうとしてみましょう。どうしてコメディが成立しなくなったのかについて書かれた記事が幾つかありますが、それはめっちゃくちゃ面白い人たちが「やってらんねぇよ。だって別に怒らせたいわけじゃないし。」という感じになっているからだと思うんです。Twitterで三千万人を相手に議論なんてとても出来ない。そうでしょう?だから「やめたやめた」となると。
上で語られるウォークカルチャーのウォーク(Woke)とは、英語の“awake(気づいている/目覚めている)”から派生したスラングで、特に「人種問題や社会正義に対しての認識を持っている」という意味合いで使用されます。
ここアメリカで2014年に過熱した『ブラック・ライヴズ・マター』運動においても、“#Stay Woke ”という言葉が流行し、社会問題に対する高い意識を持つことの重要さが説かれました。
あらゆる社会問題に人々が敏感になってきているこのウォーク・カルチャーの中で、社会問題をネタに笑いをとりにいくことが如何にリスキーか。どうやらフィリップス監督は、こうした時代を背に、これからの自身の方向性を模索していたようです。
そして監督は続けて言います。
僕のコメディは全部 -これはコメディ全般に共通することだと思うけど- 不謹慎なものです。だから「コメディ以外で、どうやったら不謹慎なことができるかな」って思ったんです。
本作『ジョーカー』を手がけた経緯はこういうことだったんですね。
なるほど・・・・
胸のつかえがとれた気がしました。
やっぱり、本作は単なる「悲劇」ではなかったんだ。
確かに、主人公アーサーの境遇に胸が痛む場面は幾度となくありました。例えば、精神病院の階段で母親が裏切り者である(かもしれない)ことを知ってしまう場面。ここでは私も、泣きそうになるほどアーサーに感情移入していました。こうやって切り取っていくと悲劇の連続の本作。
アーサーの気持ちは分からなくはないけど殺人はダメ。いや・・・でも、司会者マーレイ(ロバート・デ・ニーロ)たちのように、自分のことは棚に置いて善悪を説くことにも賛同はできない。こんな風に、鑑賞中は行ったり来たりの複雑な心境に陥りました。
と、ここで響いてくるのが、劇中でジョーカーが放った“Comedy is subjective(コメディは主観だ)”という言葉。何が面白くて何が面白くないかという判断基準は、全て各々の主観に拠る曖昧なものだという主張です。
これはもちろんお笑いに限ったことではなく、「主観」は私たちが人間として生きる以上、必ず個人個人に付きまとってくるものです。つまりは、あらゆる事は主観である。
こう考えると、本作を悲劇と捉えるか喜劇と捉えるか、そのカテゴライズさえも私たち観客に全託されているような気がしてきました。
▶️Why so serious?
そう言われると・・・・
映画前編を通して、どこからどこまでがアーサー(ジョーカー)の妄想なのかはハッキリとしていません。妄想癖からアーサー(ジョーカー)が「信頼できない語り手」であることは明白だし、さらに面白いことに、そんな彼による視点を大半として物語は進んでいきます。
となると、「全ては彼の妄想=ジョークだった」という解釈すら可能になってきます。
ここで先の監督の言葉が蘇ります。
「コメディ以外で、どうやったら不謹慎なことができるかな」って思ったんです。
ま て よ。
やっぱり監督、「社会の問題を提起した見事な映画だ」とか「なんて悲しい物語なんだ」とかいう観客の反応を集めた上で、実は全部ジョークでした〜♪とかいうオチを用意しているんじゃ・・・?悲劇と表裏一体の喜劇?
うんうん。確かに劇中でのジョークは面白かったもんなぁ。(アメリカの劇場も大きな笑いに包まれてました)
でももし、作品自体がジョークだったとしたならば、相当挑発的で皮肉に満ちた作品になりますよね。おもしろすぎるでしょ・・・
監督は私たちがああだこうだ議論しているのを、「ははは、その仮説は興味深いね。いいよいいよ〜」と反応を見て楽しんでいる可能性だってなくはない。
もっというと本作は、監督なりの逆襲かも?なんて思ったり。私の記憶が正しければ、『ハングオーバー! 』の第1作目は人気を博し高評価を獲得。のち世間からの期待の声を受け、監督は続編の第2作目を公開するも、「前作をなぞっただけで単調でつまらない」と低評価を下されます。そしてさらなる続編第3作目は、前作とはまた違ったストーリー展開で臨んだものの、評価はイマイチ。
これに加え、前述の「ウォーク・カルチャー」についての発言による世間からの一方的なバッシング。いろいろな場面で叩かれてきた監督とジョーカーがどうしても重なって見えてくるんですよね。
そして、ジョーカーを演じたホアキン・フェニックス。彼もまた、『容疑者、ホアキン・フェニックス(2010)』というモキュメンタリーを手がけて、世間を盛大に騙した経歴を持つ変態的人物ですので、この二人がタッグを組んだ本作『ジョーカー』も一筋縄ではいくわけがない、とつい期待せず考えずにはいられません。
切り口によって見方がコロッと変わる、エンターテイメントに富んだ作品ですね。
止まらない深読み。
そしてこんな私もまた、「それも主観にすぎない」とジョーカーに嘲笑されて終わるのかな〜(これぞ厨二病?)。
上のインタビュー(英語)によれば、監督は遠い未来に種明かしをする予定だそうですね。私たちの映画体験を壊さないように、今のところはオープンにしたままでいたいという想いがあるようです。
ちなみに監督、本作に政治的な意図はないことは明言しています。そういう見方ができることに対しては否定はしていませんが。
今頃、監督もホアキン・フェニックスも「まったく、君たち考えすぎだよ。Why so serious?(ヒース・レジャー演じるジョーカーの有名なセリフ)」と嘲笑っているかもしれませんね。
と言いながら、次のような真面目なテーマは掲げているようです。
▶️共感の欠如
フィリップス監督はインタビューで、「共感/思いやりの欠如」を本作テーマとして挙げています。
The movie makes statements about a lack of love, childhood trauma, lack of compassion in the world.
意訳:「この映画は、世界における愛の欠如や幼少期のトラウマ、共感/思いやりの欠如を描いています。」
この「共感/思いやり」は、前章で述べた「主観」を扱ううえで必要不可欠な要素であることは間違いありません。
というのも、ジョーカーが劇中で語った「コメディは主観」、そこから派生させて「全ては主観である」という主張は、下手をすれば自分の意見を他者に乱暴に押し付けることを良しとする可能性を秘めているため、それを防ぐ他者への思いやりが大切になってくるからです。
ジョーカーが「もし道端で倒れているのが自分のように社会の底辺にいる人間だったら、みんな見向きもしないくせに!」と激昂しマーレイを銃殺した衝撃的な場面がありました。マーレイが自身の主観による正義を振りかざしジョーカーを説教した様に、ジョーカーもまた彼なりの主観による正義(ジョーク)をお見舞いした・・・
ホラー映画で酷い描写の耐性はついてきた私ですが、あのシーンはものすごいリアルに感じられて、ショックで開いた口が塞がりませんでした。ズンッと鉛の様な重い感情が胸のあたりを渦巻く感覚で、ゾワっと恐怖を覚えたほど。
途轍もなくリアル。
こうやって人は互いに痛めつけあってるんだよ、ちゃんと見とけよ、と目をこじ開けられた様な感じでした。
どちらの主観・言い分もごもっとも。
それだけ私たち人間の心は複雑で、社会全体もそれゆえに歪んでしまっています。あらゆる面において分断が進む世の中で、ただ我儘に主観を押し通していくことの危うさもきっちり見せてくれた(そう解釈できる余地を残してくれた)本作。
いろいろな主観をぶつけあって対立する前に、共感・思いやりといった他者目線、客観性を育てていきたいものです。
と、月並みな感想に収まりましたが、こうやって考察していくとフィリップス監督のデビュー作がドキュメンタリーというのも頷けます。監督は常に、こうした「真実」に迫ることを重きに置いているんだなぁと。たとえそれが最高に不謹慎であろうとも・・・
映画『ジョーカー』
■ まとめ ■
以上、映画『ジョーカー』の感想・考察でした。いかがでしたでしょうか?
いろいろな方向に考えが飛んでいき、なかなか一筋縄ではいかない作品でした。でも、人の数だけ多様な見方があるんだな〜と、あとから考察するのが楽しかったし勉強になりました。
ちなみに『ジョーカー』鑑賞以来、我が家ではアーサーの笑い声のモノマネが家中に響き渡る毎日です。笑い声ひとつとっても、ホアキン・フェニックスのすごさを実感。
ということで、最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。See you!!!
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