映画『RAW』人食いにめざめた少女の結末とは/ネタバレ感想
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こんにちは、Leecaです。
本日はフランス&ベルギー合作のホラー映画、『RAW〜少女のめざめ〜 』をご紹介します。
初公開となった2016年のカンヌ国際映画祭で、“批評家連盟賞” なるものを受賞した本作。
日本でもようやく公開になりましたね。
今回は本作の簡単なあらすじと、わたしの個人的な感想をネタバレありでお届けしたいと思います。つらつら〜っと思うがまま書かせていただきまっす。
いざ、参らん・・・!
■ 『Raw』ざっくり、あらすじ ■
原題:『Grave(Raw)』
脚本監督:ジュリア・デュクルノー
製作国:フランス、ベルギー
製作年:2016年
公開:米仏=2016年3月、日=2018年2月2日
上映時間:98分
厳格なベジタリアンの獣医一家で育った16歳のジュスティーヌ(ギャランス・マリリアー)は、生まれてこのかた肉を口にしたことがない。
両親の母校であり、ジュスティーヌの姉アレクシア(エラ・ルンプフ)も通っている獣医学校へ進学することになったジュスティーヌ。頭の良さから周囲からは神童と呼ばれ、箱入りで育った彼女にとって、親元から離れて学生寮で他人と生活することなど、まるで未知のことであった。
そんなこんなで始まった新たな生活であったが、
女性のルームメイトを希望したはずが、アドリアン(ラバ・ナイト・ウフェラ)というゲイの男性とルームシェアをすることになったり、上級生の手荒い演出によって歓迎ナイトパーティーなるものへ連行されたり、出だしから戸惑うことばかり。
そんなジュスティーヌの唯一の救いといえば、アレックスと呼び慕う姉のアレクシア。
・・・・のはずだった。
上級生から生肉を食べるよう強要される「新入生通過儀礼」。
ベジタリアンだから食べられない、とジュスティーヌは姉のアレックスを盾に拒もうとしたのだが、アレックスはジュスティーヌに食べることを強いる。
そしてジュスティーヌはついに、はじめて肉を口にする。強烈な罪悪感に苛まれながらも、その日以来、彼女の中ですべてが変わっていく。
自分の真性に目覚めた16歳の少女の行く末とはー 。
■ 感想(ネタバレ) ■
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まだ映画のあらすじも分かっていなかった時、断片的に↑上の写真をみて「これは人食いを行うオカルト組織に巻き込まれた少女の話にちがいない」と、違う路線のホラー映画を いつも通り 勝手に想像したわたし。いっそ、アホとでも呼んでください。
でも、血まみれの白衣をまとった若者がわんさか居るなんて何事?どんな集まりですのん?と。獣医学校の学生と知って、ますますおののきましたよ。もう、未知すぎて理解の範疇200%超えです。
実際に鑑賞してどうだったかというと、ホラーと一言で語るには難しい内容の作品でした。たしかに「人食い=カニバリズム」を扱っているので、必然として血なまぐささはあります。血・肉というキーワードは避けて通れません。
でもそこまでストレートに視覚に訴えてくるグロい描写は少なく(これは監督自身も言及している)、どちらかというと精神をじわじわ〜っといたぶられるような、独特な影をもった作品であります。
やっぱフランス(&ベルギー)映画の空気感って、どこか違う。かっこつけるつもりなんてないのに、「不気味さの中にも芸術性を秘めておる・・・」なんてかっこいい言葉(←言う程かっこよくない)を以てしか表現できない。
ホラーであり、ロマンスであり、青春物語であり、(姉妹の)愛の物語でもある。ほんとうに色々な要素が詰まりすぎていて、観終わったあとには小一時間ほど考える時間がほしくなります。
私は夜に鑑賞したので、そのまま眠りにつくまであれこれ考えてしまい、結果悪夢で目を覚ますことになりましたよ。みなさん、寝る前には楽しいことだけ考えましょうね。
作品を一言でいうと、「奥が深い」。←あっさい文章
なんかこう、消化しきれないようなやるせなさが尾を引く感じです。「生の 」という意味をもつ英題がぴったりすぎて、ちょっと『Raw 』って言葉の破壊力に引くぐらい。
褒めてるのか、けなしてるのか、どっちなのよ?
褒めてまっせ!
個人的には大ヒット。
と同時に、精神的にずしっとくるのでダメージもクリティカルヒット級ではあります。やっぱ「精神いたぶる系」が一番恐ろしいものだと、再確認。
あと、フランス語の原題は『Grave 』のようですね。
はじめ同じ綴りで「墓」を意味する英語 “グレイヴ” かと思い込んでいたのですが、よく考えたらフランス語の “グラーヴ” じゃん、と。しまいにはミスフィッツの元ボーカル、マイケル・グレイヴスまで想い出す始末・・・ふふふ。
どうやら「深刻なこと/大事」という意味の単語だそうですが、フランス語知識ゼロなのでどういう意味が込められているのかは定かではありません。ちょっと気になりますね。
とにもかくにも、この映画の何がいいかって、
主人公に共感できてしまう
というところだと思います。
あくまで私が思ったことですよ♡
表向きに扱っているテーマがカニバリズム(人食い)なので、鑑賞前はそこばかりに期待を寄せていた私。『グリーン・インフェルノ 』も好きだし、『ハンニバル 』も10代前半にヒャーヒャー言いながら薄目で観てしまったし。
あまりに過激なシーンは苦手ではあるものの、
「怖いもの見たさ」に煽られ、本作も鑑賞にいたりました。
でも蓋を開けてみたら、
思っていたカニバリズムとは訳が違ったのです。
上述の映画に登場する人食いは、サイコパス、あるいは食人族のいずれか。つまり、明らかに我々とは違う「異質のもの」として描かれている。
一方、本作の主人公ジュスティーヌはどうでしょうか。
神童と崇められていても、同年代の子となんら変わらない、多感な時期を過ごす16歳のひとりの少女です。むしろ16にしては、うぶ過ぎるくらい。
そして破天荒なお姉ちゃんのアレックスに、女子力を高める手ほどきを受けるジュスティーヌ。ブラジリアンワックスで脱毛するシーンなんか、特に良かったですね。ブラジリアンワックスを試したことはなくとも、あまりにも痛そうすぎてそこでも要らない感情移入をしてしまいました。
いや、あれは必要な感情移入だった。
私もジュスティーヌと同じ女の子(と呼ばせて)です。
少なくともこの現代社会で女子として生きる以上、「無駄毛のお手入れ」のプレッシャーは半端ありません。男性陣はみていますとも、女性の指の毛さえも。
話がそれました。
私自身、仲のいい姉を持つ身として、ジュスティーヌとアレックスの二人の関係性には共通点を見つけて、微笑ましく思ったほどです。ジュスティーヌが大股を広げてる引きのカットといい(これまた脚が長いんです)、わんこが何かと嗅ぎ付ける様子といい、緊張感の中にも笑えるポイントが散りばめられていてホント最高でした。
恐怖と笑いの愉快な共存。
うぶなジュスティーヌの姿には、だれもが通るであろう「子供から大人への成長」を見ることができます。そしてそこに、かつての自分の姿を重ねていく、という流れでぐいぐい映画の世界観に引き込まれていってしまうんですよね。
結果的には母親の遺伝でカニバリズムに「めざめ」てしまったジュスティーヌなので、もちろんアブノーマルな部類の人間に振り分けられるわけですし、人食いそのものには共感できません。
それでも、本作ではそんな彼女の壮絶なこころの葛藤が非常にうまく描かれていて、ジュスティーヌやアレックスが抱える心の葛藤が、ほんと手に取るようにわかってしまう。種類は違えど、我々だって欲求を抱えるおんなじ人間ですからね。
いけないことと頭で分かっていても、それは本能的な内から突き上げてくる欲求なので、もうどうしようもありません。このことに性別は関係ないですが、思春期の男子をイメージするといいかも?「勝手に部屋の掃除しないでよ、母さん」が決まり文句の中学生男子なんかいいかもしれません。
それにしても、忘れられないのが密かに想いを寄せていたルームメイトのアドリアンとの情事のシーンですよ。彼に噛みつきたい衝動を自身の腕を噛むことで必死に抑える、そんなジュスティーヌがなんとも印象的で・・・・
ちょっとけなげさまで感じましたよ、わたしは。
もちろん、ドン引きましたけどね。
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でも耐え抜いた彼女は、戦士にさえ見えました。ジュスティーヌ、強し。これは彼女の理性と愛が勝利した瞬間ですね。
映画中盤ではもはやカニバリズムから焦点は外れ、生身の少女の心に寄り添っている自分がいました。合い言葉は「負けるな、ジュスティーヌ!」。
繰り返しますが、人食いを援護しているのではありません。抗いがたい衝動と闘う彼女を応援しているのです。
ここまで語りながらも、ジュスティーヌが姉アレックスの切り落とされた指をみつめる場面では、「お、ついに行っちゃう!? 」とひとり実況しながら、固唾を飲んで見守っていたんですけどね。
そして彼女が指にかぶりついた瞬間は、「きたーーーーー!」とガッツポーズです。い〜〜〜〜と言葉にならない声を発し渋い表情で見てましたが、この直球勝負でみせる演出がニクいのなんのって(肉だけに)。←そういうの要らない
バックで流れる音楽も大げさ&いかにもという感じで、それがまた良かったです。アメリカに来てからリブを食べる機会が増えたこともあり、かなり複雑な気持ちになったのは事実として、あのシーンは本当によくできているなと感心しました。
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でも、「妹が自分の指にしゃぶりつく姿」をみてしまったときの、アレックスのあの涙だけはどうも忘れられません。切なくなりました。アレックスは一体どんな気持ちで見つめていたのかな・・・妹には自分と同じ茨の道を辿ってほしくはないとでも思っていたのだろうか。
その後アレックスは「人食いとして生きる術」をジュスティーヌに伝授しようとしました。それが彼女なりの精一杯の愛情表現だったのは、言うまでもありません。アレックス自身アブノーマルな人種という自覚があっただろうし、とてつもない孤独感・葛藤を通して開き直ってしまっていたのかもしれません。
ジュスティーヌも、そんな姉の気持ち(自分への愛情であったり、葛藤・孤独感など)が痛いほど分かっていたから、最後にアドリアンを喰ってしまった姉を殺すことなど到底できなかったんでしょうね。
《このジュスティーヌは美形すぎて人形かと思ったし、
何より死んでいるかと思った》
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ジュスティーヌだって、一歩間違ったらアレックスと同じ道を辿っていたかもしれないですし。でもジュスティーヌは理性を保った「人間」として生きる道を選んだ(少なくとも映画結末までは)。
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サッカーをするアドリアンを、「性・食の対象」として鋭い目つきで追うジュスティーヌ。興奮しすぎて鼻血まで流しちゃうんですから、その欲求レベルは獣並みの相当なもの。このシーンでのギャランス・マリリアーの演技が圧巻すぎて、感動すら覚えました。
でもジュスティーヌは結局、
アドリアンで性欲を満たしても獲物として喰らうことはなかった。
そんなこんなで、ほんのちょっとの差で大きく分かれてしまったジュスティーヌとアレックスの道。
刑務所の面会で、アレックスとジュスティーヌがガラス越しにキスをするシーンがあります。まさに善悪はガラス一枚ほどの差で隔てられているものだ、と主張しているかのようなシーンでとても心に残っています。
本作全体を通して思ったこと。
人間なら誰しも内に「凶暴性」を秘めているということ。しかし、その事実を開き直るでなく受け容れて、人間らしく生きる道を進むべきということ。人間らしくとは、「理性と愛情」をもって生きることである・・・・と、要は自戒の念ですね。
どうやら本作では、カニバリズムを「少女から大人へと成長していく」ことのメタファーの一つとして起用していると言われているようですね。てことは、わたしも一部そういった製作側の意図に則った解釈をしたことになります。
でも、少女のみにフォーカスした作品ではない、とも個人的には考えます。だからこそなかなか消化しきれない部分もあるし、この映画に共感する者の中にはかつては「少女」であった女性のみならず、一生「少女」を経験することのない男性だっているわけで。
あとはフェミニズムを描いた作品だという声も耳にしましたが、女性監督が少女の成長を描く=フェミニズムっていうのもなんだか短絡的だよな〜って気はします。ただ単に、あんまりフェミニズムって言葉が好きではないんですけど。
少女が主人公だからって、セクシュアリティやジェンダーにも囚われるのではなく。ここは「人間」という普遍的なテーマを扱っている作品として観てみると、より楽しめる作品になるのではないでしょうか。
この映画を通して、「自分の本性」と向き合うことを全力でオススメします。
ふふふふふ〜 ←自分が怖い
それでは、また。
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