H&M・ガキ使「人種差別」という方が差別?熟考してみた
みなさん、こんにちは。
今日は、センシティブな話題「人種差別」についてのお話です。
最近、南アフリカでH&Mの広告が「人種差別」として批判を受け、世界的大ニュースになりました。
日本国内も例外ではなく・・・
年末恒例のお笑い番組『ガキの使い〜』における、浜ちゃんのブラックフェイス(顔面黒塗り)問題も波紋を呼んでいますね。
この他にも数々の「人種差別」騒動が世界中で起こっているわけですが、人々の反応もさまざま。ということで、今一度 「人種差別」について、筆者なりにじっくり考えてみたいと思います。※かなり長文です
■ 一番最初に抱いた感想 ■
まずはじめに、一連の騒動を初めて知ったときに抱いた、筆者の反射的な感想をさらっと。嘘はつけません。どうか、フラットな気持ちでお読みいただければ幸いです。
①浜ちゃんのブラックフェイス
在米の身なので、問題となった動画をリアルタイムでは見ておりません。よってネットニュース初見の感想になってしまうのですが、「これも差別と言われるのかぁ・・・」という驚きが正直大きかったです。
というのも、エディ・マーフィーが主演の映画『マッド・ファット・ワイフ(原題:NORBIT)』で演じたアジア人の描き方が「なんだよこれ・・・偏見の塊じゃん 」ってくらい酷いんですが、特に怒りの感情が沸いてくることがなかったから。
この映画はコメディなので、もちろん全力で笑いをとりに来ている訳ですし、私たちアジア系が笑いの対象になっているのは明らか。まぁ、この映画は人種だけじゃなくて容姿差別まみれで問題作かもしれませんが。
よって、ネット・SNSにも上がっていた声、「ちょっと過敏すぎないか?」に共感をおぼえました。
②H&Mのパーカー広告
『Coolest Monkey in the Jungle(ジャングルで一番クールな猿)』と書かれたパーカーを黒人の男の子が着用、その写真が掲載されて起こったこちらの騒動。
はじめ問題となった写真を見たときの感想は、「これもアウトかぁ・・・(遠い目)」。これはただ単に、自分のなかで反射的に“猿”と“黒人の少年”が結びつかなかったからです。下のツイートをご覧下さい。
Well. I see a sweet little black boy wearing a sweater with ‘coolest monkey in the jungle.’ I see nothing else. Hope this helps.
— simon mount (@simonmount1) 2018年1月8日
ステファニーさんという女性が「これはH&Mの誰のアイディアなの?どういうこと 」と広告に不快感を覚えツイート。
それに対し、サイモンさんは「えぇと、僕には可愛らしい黒人の男の子が、『ジャングルで一番クールな猿』っていうセーターを着ているだけにしか見えないけど。参考になるといいな」と返信しています。
私は、まさにサイモンさんと同じ意見でした。
一方、アメリカで人気のカナダ人歌手(ご両親がエチオピアからの移民)The Weekendは「今朝起きて、この写真をみてショックを受けたし恥ずかしかったよ。すごい腹が立ったし、もうH&Mとは仕事をしない」と怒りのコメントをツイッターにあげていました。
woke up this morning shocked and embarrassed by this photo. i’m deeply offended and will not be working with @hm anymore… pic.twitter.com/P3023iYzAb
— The Weeknd (@theweeknd) 2018年1月8日
■ 立ち止まって考えてみた ■
第一印象、初見の感想は上記のとおりです。
もちろん、それが全てとは思っていなかったので、他の人々はどう感じているのか調べてみることに。
すると、本当〜にいろんな意見があることが分かりました。そして揺れまくる(否、ブレまくる)自身の考え。
全ての声をチェックすることは無理ですが、私がみつけた黒人の方の反応としては「ブラックフェイスはあり得ない」というものが大多数。H&Mの広告に関しても、かなり憤りを感じている方が多い印象を受けました。
そもそもブラックフェイスに関しては、アメリカのエンタメ界ではNG。これは、1820年代にアメリカで生まれた『ミンストレル・ショー』という黒人蔑視の芸能が関係しています。これは白人がブラックフェイスのメイクで黒人に扮し、黒人風刺をして観客の嘲笑をさそう、というものです。
上の写真は、典型的な奴隷として描かれたジム・クロウというキャラクター。1876年から1964年にかけてアメリカ南部諸州に存在した、『ジム・クロウ法』という人種差別法の名前の由来になっています。
そして長く辛い人種差別の闘いの末、アメリカで『1964年公民権法』という人種差別を禁ずる法が施行になりました。これでようやく黒人の人々は(有色人種全般もですが)「肌の色で差別される」という政治的呪縛から放たれたのです。
この歴史を踏まえると、ガキ使の件は
え、またぶりかえすの・・・?
どうして古傷をえぐるのよ・・・
という人々の反応があることに理解・共感できるなぁ、と。
H&Mの件に関しても、“猿”というワードは有色人種の差別用語として広く認識されているのは事実。黄色人種だったらイエローモンキー(黄色い猿)ですね。
私自身はこれまでの人生において、国内外問わず、イエローモンキーという言葉を投げかけられたことはありません。でも実際に言われたという日本人の話は耳にしたことがあります。古い話ではありません。
また、黒人の方も差別的にモンキーと呼ばれることは現代でもあるようです。2014年には、アメリカのテネシー州のコットン倉庫で働いていた黒人男性2人が、上司に日常的に「サル」と呼ばれ差別行為を受ける出来事も起こっています。☞参照:NEWS3
ここでちょっと想像してみました。
日本人の男の子が『世界で一番クールな黄色い猿』というパーカーを着ている写真が、ネットに掲載されている場面を。
怒るまではいかなくとも、たしかにモヤッとしたモノが心に残るかもしれない。あるいは、さほど気にならないかもしれない。日本にはイエモン(バンド)だっているしなぁ。って関係ないか。
あ〜わからない。
当事者にならない限り、真実は分からないよ・・・・
ってあれ?これこそ真実じゃなかろうか?
こんな感じであーでもないこーでもないと何周もして、頭はパンク寸前。
でも確かなことは一つ!
だからって店を荒らすのは違うでしょ?と。それは理由にならない。
それが根本的な解決になるどころか、自分たちに新たなレッテルだって貼られかねないのに。
はぁ〜どうしたもんだ。
そんな私の脳みそをかき回すかのように、ちらほら聞こえてきた日本人の意見があります。
■ 差別だ!という人ほど差別してる? ■
考えれば考えるほど、分からなくなっていく。
そんな折、かなり多くの日本人(or 日本在住歴が長い)の方のこんな意見を目にします。
「差別だと主張している人こそ差別してるじゃん!」
例えば浜ちゃんの黒塗りの件でいえば、日本のタレント、フィフィさんのツイートにもこんなのがありました。
黒く塗ると差別だと騒ぐ人達はネガティブなイメージを持ってるのかな?日焼けして黒人並みにするほど黒い肌に憧れている人もいるし、黒人ファッションも真似てる人もいる。意図によっては批判されるだろうけど、黒人に扮しただけで差別って?そう指摘する人達こそ、優劣を付けて人種を見てる気がする。 https://t.co/QGtnKapKQw
— フィフィ (@FIFI_Egypt) 2018年1月3日
なるほど・・・差別の意図は全くないのに「あんたも差別してるんでしょ?」って決めつけられたら、そんな風にしか他人を見られないあなたが差別してるんでしょう?と逆説的に考えられますよね。私はこれに関してはもっともだと思うのですが、それと同時に自分は日本人的感覚のままなんだなとも思うんですけどね。アメリカにいるってのに。
それは多くの日本人が、肌の色だけで差別をうけたことがないからでしょう。日本はいうても単一民族国家でしょうし。
ちょっと例え話になるんですが。
過去の恋愛でトラウマを負った彼女へのある言動に対して、「ねぇ、あんたも浮気してるんでしょ?男なんてみんな同じよ」って勝手に決めつけられたら、悲しいじゃないですか。「俺は元カレとは違うよ 」と主張したところで取り合ってもらえず。理不尽ね。
って全然スケールが違うし的外れかもしれませんが・・・・続けます。
かと言って、「お前の過去の恋愛のせいで、なんで俺が悪く言われなきゃならないんだよ」と、突っぱねるのも愛がない。ごもっともな部分はあるにしろ、思いやりに欠けますよね。
かと言って(二度目)、彼に落ち度があったとしても、話し合う前に暴挙にでるっていうのも根本的な解決にはならない。
二人は出逢ってしまった以上、お互いの関係をどう築いていくかの選択に迫られることになる。
もし、これからも「困難はあるけれど二人で手を取り合っていこう」というのならば・・・
やっぱり必要なのは、彼女本人の現状打破の意思と、彼氏の包容力かなと思います。
って私は何を話しているのでしょう。
いや、でもお互いの歩み寄りなしにはいい未来は築けないと、信じています。
つまり、「差別と主張している人こそ差別してる」という意見は一理あってごもっともだと思うのですが、これだけでは不十分なのかもしれない、とも思うのです。とくにグローバル化によって多様性を押し進める時代においては。
私たち、傷つけ合ってばかり。
これならいっそのこと、出逢わなければよかったのよ。
↑急にどうした
でも出逢ったことで得られるものは大きいでしょう。インターネットも普及しておらず、多様性に目を向ける機会がなかった頃と、現代とではもう時代が違う。もう新しい世界の扉を開けてしまったんだよな〜と。
■ でも、やっぱり・・・■
と、ここまで二転三転もいいところですが。モヤっと感は残ったままです。
それはきっと、「人種差別」の問題が根深く、明確なセーフ/アウトの境界線がない難題であるという事実に直面したことによるフラストレーションかもしれません・・・・こういうトピックで罵り合いとかみると、切なさ100%、生き辛さも120%。
そう、考えるほどに答えがまとまらないというループ。頭ハゲそうです。←これも差別とか言われるのかな
日本は人権後進国という批評も見受けられます。確かにそうかもしれません。でも「お前も歴史・文化くらい勉強しろよ 」という上から目線や、押しつけのような主張って心に響かないですよね。その根底にも差別心があるという皮肉に気づく。もっと肩の力ぬきたい・・・
仮にアメリカを人権先進国だとしても、人権問題の境界線はあいまいですよね。あのエディ・マーフィのアジア系の役はいいの?アジア系はもっと主張するべきだって?それもなんだかな〜。そうでもしないと拾ってもらえない声、というのもどうよ。声を大にしてコンセンサスを勝ち得ていくのがアメリカ、なんでしょうけど。
でも逆に、アジア系だから〜日本人だから〜って、勝手に枠に閉じ込められるのも惨めになるってもんです。腫れ物に触れるみたいなのって、分かりますしね。
「文化の盗用」として騒がれたホワイトウォッシュ問題も然り。
Karlie for Vogue US – March 2017 pic.twitter.com/Pbo9rssT8p
— bestkkpics (@bestkkpics) 2017年2月14日
大半の日本人は、これを「文化の盗用」だなんて思っていない。マイノリティ=日本人 VS マジョリティ=白人っていう起点からでないと、そんな考えすら生まれないですもんね。行ったり来たりで申し訳ないんですが、これは先述の「差別してると騒ぐほうが実は差別している 」に通ずると思います。
多様性にばかり着目し、弱者に対する配慮ばかり強めること、それが皮肉にも“非寛容さ”につながり、本来の目的:多様性の推進を阻むことにはならないでしょうか。言葉狩りなんかもそうですね。自分が唯一正しいなんて誰がわかるの?って感じです。
ポリティカル・コレクトネスを主張するあまり、「平等」から逆行していき、いたちごっこ状態。このバランスが難しいですね。
あぁ、愚かな人間。
↑なんでもここに帰結する癖
でも本当に心からそう思うんです。
差別はいけないと主張することが当たり前の世の中こそ、差別が横行していることの裏返しなわけだし。
だったらいっそのこと「自分も弱い心=差別する心があるかもしれない」って、己を疑うところから始めるほうが建設的ではないでしょうか。
よく日本人は差別しない、とか日本では差別がないという声を耳にします。でも気づいてないだけで、無意識的に差別していることはありませんか?灯台下暗し、ちょっと自分に問いかけてみるといいかもしれません。
そうすれば、他人よりも自分の心に監視の目がむく癖がついて、自分の言動に注意を払いつつ、他の言動にも寛容でいられるのでは?みんな聖人じゃあるまいし弱い心くらいあるよね、って。そうして本当の意味で、互いに寄り添い合える社会へとむかっていけるんじゃないかなと思います。
最後に。
H&Mの騒動ですが、黒人モデルの少年とお母様が身の危険を感じ、引越しにまで追いやられたそうです。お母様がH&Mを擁護するツイートをすると、黒人の方たちから「裏切り者」というレッテルを貼られ口撃されたそうです。渦中の男の子はまだ5才で、何が起こっているか分かっていないっていうのに。
これってひどいですよね?
個人的には、「差別がない世の中」になるには、みんなが“無の境地”にないと難しいとは思います。だからといって、まっさらな状態の赤ん坊や幼い子供たちに、頭から差別の概念を植え付けるのは呪縛でしかないと思います。
黒人の親御さんが子供の成長過程で、“警察への対処の仕方”なるものを教えるという話を耳にしました。いまだに黒人の方への、あるいは有色人種への日常的な差別がまかり通っている、それも現実です。
でも、このループから抜け出す手立てはないのでしょうか。
世界的にみた今の時代の共通認識、ブラックフェイスがタブーということも、イエローモンキーは差別語だってことも、これが何百年後もずっと続くとも限らないわけで。というか、そんな未来は住み辛いし理想は持ちたい。なんでも規制じゃなくて、みんなが寛容になること、他を慮ることにもっと目をむけたい。
未来に希望をもつためにも、こういった騒動を考える(己に問う)機会とし、自分は「蚊帳の外〜♪」という意識から脱することは大事かなと思います。人間(自分)の良心を信じたい。
■ まとめ ■
もう本当に考えることが多すぎて、申し訳ないくらいにまとまらないんですけど。現時点での考えをまとめると、
・当事者(今回は黒人の方)にしか分かり得ない苦痛・歴史があるということ
・グローバル化が進む現代では日本も多様性に目を向ける必要性に迫られている
・といいつつ、根本的な人権問題は置き去りという矛盾も=バランスの欠如
・「差別だと主張する方が差別している」は一理あって、全てとはいえない
・自分の正当性を振りかざして他に強要することは暴力と等しい
・「自分は差別をしていないか?差別とは何か?」己に問い続けること
・マイノリティを守ろうという動きが逆に“非寛容さ”を生み出すことも
・時代と共に人々の共通認識はかわっていく=差別の概念に絶対はない
・人間はおろかで弱い生き物である(笑)
・でも良心にしたがって生きる術はもっている、と信じたい
以上です(息切れ)。
みなさんにとっても、考えるきっかけになれば嬉しいです。
では、また。
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