「意識高い系はうざい」から読む“日米ボランティア”の違い【考察】
こんにちは、Leecaです。
アメリカでのボランティアについて書こうと思い立って色々調べていたところ、『意識高い系』という言葉に何度もでくわしました。
ほとんどが「意識高い系はうざい」といったネガティブな意味合いで使われていて、興味深く読ませてもらったわけですが・・・・
みんなが煙たがっているうざい意識高い系はアメリカにもいるらしいです。国など関係ないのでしょう。
だって人間だもの。←この類のつぶやきも意識高い系に入るのだろうか
えぇ〜、ボランティアに話を戻します。
アメリカってやたらと○○大国と言われますが、ボランティア大国というのは本当です。
そこで今回は、ボランティア=意識高い系という図式が存在する日本のボランティアと、アメリカのボランティアの違いについて考えてみたいと思います。簡単にいえば『日米のボランティアの違い』です。
そして日本で言われる「意識高い系はうざい 」についても考えを後半でちょろっと述べたいと思います。
< もくじ >
・そもそも“ボランティア”って何?
・日本とアメリカのボランティア比較
・意識高い“系”について思うこと
・まとめ
■ そもそも“ボランティア”って何? ■
まずボランティアは“自由意思”を意味するラテン語の“ボランタス”が語源と言われています。現在私たちが考えるボランティアといえば英語の “volunteer” でしょうが、これも元々は“志願兵”という意味で使われていました。
そして現在のボランティアという言葉は、語源をたどれば分かるように『自発的』という意味が含まれています。
つまり誰かに強制されるでもなく自分から進んでする、ということが根底にあります。
このことからも、自分が好きなこと・得意なこと・良くしたいこと等々、自分で考えて主体性をもって動くということがキーになってきます。
この考えが軸になっているからこそ「無償であってもやりたい!」となるわけで、決してボランティアの始まりが単なる”無償の奉仕活動”に限定されない、と私は理解しています。
■ 日本とアメリカのボランティア比較 ■
日本はアメリカより長い歴史を持つ国ですが、アメリカのボランティアの歴史は日本より長いと言えます。
前述したとおり、ボランティアという言葉は英語由来であるだけに、昔からアメリカ人の生活の一部であったことは想像に難くありません。
実際、アメリカの父と慕われるベンジャミン・フランクリンによって、アメリカ独立40年前の1936年には既に、『自警消防隊』なるものが誕生しています。隊員は30人の有志たちだったそうです。
このようにアメリカ植民地時代に生きていた人々が、互いに助け合わなければ生きていくことが困難であったことから、人々の間にもボランティア精神が自然に育まれていったのでしょう。
そしてアメリカは今現在でも消防隊員の7割以上はボランティア(無償)というから驚きです。日本では100%公務員の仕事なので、これには私も衝撃をうけました。
◎アメリカのボランティアはこんな感じ
アメリカ人の生活には本当にボランティアがよく根付いています。
わたしの身近な例でいえば、義母がサンクスギビングやクリスマス前になると食料の寄付を行います。大学在学中のアメリカ人の友人も専攻が教育なので、教育関連のボランティアに積極的に参加しています。
他には義叔父は自分がだいすきな野球の審判を、そして義父もバスケットのコーチをボランティアでしていました。義妹は地域のゴミ拾いを定期的にしています。
みんなそれぞれ関心のある分野で、人のためになることを自由〜に行っています。そしてボランティアの種類も多岐に渡っていることが分かりますね。
私もアメリカに住み始めてから、主人の同僚が携わっているボランティア活動に、何度か参加したことがあります。
「私に何ができるかな?」と初めこそ構えてしまったのですが、行ってみるとそんな堅苦しさは皆無。みんなが自由に楽しそうに、自分にできることをしていました。カーウォッシュ(洗車)なんかは楽しかったし、「こんなにピカピカにしてくれてありがとう!」と喜んでもらえてこちらとしても嬉しかったです。
私の主人の話になってしまうのですが、『40時間のボランィア活動を行うこと』が高校卒業の必須条件であったため、小学生に勉強を教えて40時間の基準を満たしたそうです。その他にも自主的に昼休みをつかって、障がいをもつ同年代の高校生と交流を図るボランティアにも参加したとのこと。
「男同士の込み入った話もしたり(笑)楽しかったよ!」というあたり、自分も相手もハッピーだから進んで足を運んだという、とてもシンプルな発想です。
そんな主人は母国語が英語なのに、小学校に空きがなくてESL(母国語が英語以外の人向けのクラス)に通っていたという面白い過去があります。
その時に英語ができない移民の子たちに英語を教えていたそうで、これも移民の国ならではだなぁ〜と思うと同時に、こういう助け合いが必要なケースが溢れているのもアメリカなのだなと実感させられました。
助け合いが“必要不可欠”というのがスタートであったとはいえ、時代を経てもアメリカでここまでボランティアが根付いているのはなんでだろう・・・?そんな疑問が浮かんできます。
それは、キリスト教が根強い=人助けをすることが美徳という社会的通念もあるでしょうし、歴史をつうじて培ってきた国民の自立心の強さなども関係しているのかな?なんて思います。
それだけではなくて、自分がボランティアをすることで得られるメリットもふつうに受け入れるという人々の姿勢も、ボランティア活動の活発化に関係があるのかもしれないな、と個人的には思うところです。
ここで少し、日本のボランティアについても考えてみたいと思います。
◎日本のボランティアはこんな感じ
まず第一に、日本のボランティアってちょっと敷居が高いイメージをもっている人も少なくないのでは?
少なくとも私はそう感じるので、アメリカで初めてボランティアに参加するときに「私でも大丈夫かいな?役にたつ?」と若干不安を抱えてしまいました。
ボランティア=崇高で汚れのない行い
くらい神格化されていると言っても過言ではないような。
要はアメリカの逆で、ボランティアが私たちの生活の一部になっていません。その証拠に「ボランティアをするなんて偉い(すごい)ね〜」なんて声と共に、ちょっと違う世界の人という感じで一目置かれたりもしますよね。
かと思えば、「そんなの偽善にすぎない(ぷんすかぷんすか)」という声もちらほら。
なんでこんなに日米でボランティアに対するイメージが違うのかって、そもそもの日本のボランティアの定義がアメリカのそれとは違います。
一番最初にお話したボランティアの定義は「自発的・自主的」が主軸にあって、あくまで「無償」の社会(他者)貢献はそこから派生したものです。
日本はどちらかというと自主性が抜け落ちて「無償の善意・善行・奉仕活動」に重きが置かれていますよね。「ボランティアはこうあるべきだ!偽善であってはならない(ぷんすかぷんすか)」などという批判も多いように感じますし、「奉仕活動なのだからみんなが行うべきなのだ」などと押し付けがましい人も出てきます。
出発点がこうも違うと、日米それぞれ人々のボランティア(&活動者)にたいする反応も変わってくるでしょう。
はい、ここでみなさんが大好きな『意識高い系』がSNSで呟きました。
するとイラっとする人がめちゃくちゃ多い。「SNSで自慢したいからボランティアしたんじゃないの?」「そんなにアピールしなくても・・・自己顕示欲つよすぎ。」等々。こんな感じの声がネット上に溢れていました。
私自身もそんなイタイ女子だった過去がありましたわ・・・。自分ではそんなつもりなかったんですが、丁度Facebookが流行り出した頃はひとりで呟いてましたね〜。根暗か!でもそういう恥ずかしい過去って結構だれにでもありますよね。(え、ない?)
・・・・話がそれました。戻ります。
こういった闘争(!?)が勃発するのも、【ボランティア=高い意識が必要】という世間の認識があることの裏返しなのかなと思います。
でも理屈を用いると本来のボランティアは、くどいですが自主性が主軸にあるので、何もそこまで敷居が高くないということ。
さきほどアメリカがボランティア精神の根が絶えないのは、自分がボランティアをすることで得られるメリットもふつうに受け入れるからでは?言いました。
アメリカ人に「人助けをしたいから 」ボランティアをするという強い意識があることは事実ですが(※参照:平成25年の内閣府調査P83~4)、「人助けをすることで自分も満足感を得られるから(自己実現できるから)」っていうのがモチベーションになっている人は多いと思います。
私の周囲でもそう言う人はいます。それを何も偽善だ!とか他人を咎める人も私がにぶいのか周りにはいません。
アメリカ有名大型ファストチェーン店やその他企業も、「こんなに素晴らしいボランティアをしましたよ〜!」って堂々と主張していますし、ここは日本の企業にはあまり見られないアピールかなと思います。しかもそんな大企業はボランティアのプロたちを雇ってるわけですから、もはや無償ですらない。なんて合理的。
これが社会的に受け入れられるのも、アメリカは主張してなんぼ!日本はあえて主張しないのを美徳とする文化・国民性もあるのかもしれませんね。
■ 意識高い“系”について思うこと ■
私は別に他人に迷惑をかけないのならいいでしょって思います。逆に他人に迷惑がかかるなら、意識高い“系”だろうが誰だろうが、ちょっと眉をひそめてしまうかも。でも自分もしかり完璧な人間なんてこの世にいないので、ゆるくいきたいところです。
でも次のような意識高い“系”は例外。
①いきなり非常にヘビーな話題ですが、災害時のボランティアなど。
兵庫県西宮市市議会議員(当時。2014年から同市市長)の今村岳司は、阪神・淡路大震災での被災体験を振り返り「ボランティアは、被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、被災者が寝るべきところで寝(た)」と述べ、当時のボランティアのことを「観光気分で来た自分探し」「ただの野次馬観光客」「人から感謝されることを楽しみにやってきただけ」等とし、「要はプロに任せること」「被災地に必要なのは、プロだけで」あり、「部隊の指揮下で日本のために自分を犠牲にできる人だけが、「ボランティア=義勇兵」として現地入りすべき」だと述べた。
ー Wikipedia
②SNSでボランティア知識をやたらと小難しく語ってアピール。
くどいですが動機がなんにせよ、人様のためにちゃんとなっているんだったらありだと思います。だから仮に、みんながいう意識高い“系”でも行動して、ちゃんと人のためになっているのであれば素晴らしいと思います。何にもしないで批判するよりはよっぽど生産的だと思います。
ただSNSでボランティアに関するひどく小難しい知識ばかりをアピールするなどは、迷惑まではいかずとも、ボランティアの敷居をさらに高めるマイナスの作用もある気がします。
って周りにはそうやってアピールしてくる人はいませんが、そういう人もいるだろうなという憶測です。少なくとも私はそういうのを見たら、「特別な知識などない私にはボランティアはムリだろう・・・」と敬遠しそうなので。
③押し付ける。
誰にでも何においてもいえることですが、押しつけほど嫌なものはないですよね・・・・(過去を思い出している)。強制させられる時点で、もはやボランティアではありません。押しつけダメ、ぜったい。
■ まとめ ■
以上、『意識高い系』から派生して日米ボランティアについてのお話でした。
またしても長文になってしまいましたが、最後まで読んでくださって有難うございました。
私もせっかくアメリカにいるので、できる限りボランティアに参加していこうと思います♪
少しでもみなさんにとって考えるきっかけになれば幸いです。
それでは。
See you!
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